札幌高等裁判所 昭和26年(ネ)119号 判決 1958年5月09日
控訴人 被告 北海道知事
被控訴人 原告 雄別炭礦鉄道株式会社
主文
原判決を次のとおり変更する。
北海道農地委員会が別紙目録記載の土地について昭和二十五年三月二十四日附でなした被控訴人の訴願を棄却する旨の裁決を取り消す。
北海道川上郡標茶村農地委員会が前項の土地について昭和二十四年九月八日定めた買収計画を取り消す。
訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。
被控訴人の請求原因事実ならびに答弁に対する陳述の要旨。
一、北海道川上郡標茶村大字糖路字糖路二十八番地の一所在山林六百七十八町九反八畝六歩は被控訴人の所有であつたが、川上郡標茶村農地委員会は昭和二十四年九月八日右土地につき自作農創設特別措置法第四十条の二に基いて買収計画を定めた。よつて被控訴人は同年同月二十九日異議の申立をなしたが同年十一月一日棄却されたので、同月十八日さらに北海道農地委員会に訴願したところ、同委員会は昭和二十五年三月二十四日附で右山林のうち別紙目録記載の土地二百七十町歩(以下本件土地と略称)については訴願を棄却し、その他の部分については訴願を認容する旨の裁決をなし、被控訴人は右裁決書謄本の送付を受けた。(昭和二十五年四月十七日送付された裁決書謄本に誤記があつたので昭和二十七年八月三十日訂正裁決書の謄本が送付された。)
二、しかしながら、本件土地に対する買収計画ならびに訴願を棄却する旨の裁決は次のような違法があるから取消さるべきである。
(一) 本件土地は昭和二十四年九月八日当時山林であつた。被控訴人は本件土地を含め同所二十六番地乃至二十九番地所在山林千十七町四反一畝二歩を地上の立木とともに坑木供給源として昭和十四年三月買い受け、全地域について昭和十八年十月二十八日北海道庁長官から森林法に基く単独施業案の認可を受け、該地に駐在員を常駐させて山林の管理、経営及び右施業案の計画実施に当らせて来たもので、買収計画の定められた昭和二十四年九月八日当時の本件土地の各林班毎の林相は次の通りであつて明らかに山林であつた。
(1) 第四林班について。本林班は林令概ね二十年、胸高直径一寸乃至三寸程度のなら、しらかば等の樹木が一町当り平均二千五百本生立し、樹冠疎密度約五十パーセントで一町当り平均蓄積量は二百石に及んでいた。
(2) 第五林班について。本林班は昭和十六年に(ろ)、(は)小班を、昭和十七年に(ほ)、(へ)小班を、昭和十八年に(と)、(ち)小班を夫々伐採し、(は)小班には昭和十七年、(ほ)、(へ)小班には昭和十八年、(と)小班には昭和十九年にそれぞれ一町当り二千五百本のからまつを植栽したが、戦中戦後の動乱期に際し苗木、労力不足のため補植、手入困難を極め、加うるに野鼠の被害もあつて次第に枯れ、右買収計画当時は一町当り七百本を残すに止まり、疎開地は広葉樹の伐根から萠芽した二次林相に移りつつあつた。(ろ)、(ち)小班は天然更新予定地のため、植林は実施しなかつた。各小班毎の林相は次の通りであつた。
小班
主要樹種
林令
一町当り本数
直径
一町当り材積
樹冠疎密度
5ろ
なら
しらかば
八年
七、〇〇〇本
一、〇寸
一〇〇石
四〇%
は
なら
からまつ
八
六、〇〇〇
七〇〇
一、〇
二、五
九〇
四二
四〇
ほ
なら
しらかば
からまつ
七
六、〇〇〇
七〇〇
一、〇
二、〇
九〇
二一
四〇
へ
なら
しらかば
からまつ
七
六、〇〇〇
七〇〇
一、〇
二、〇
九〇
二一
四〇
と
なら
からまつ
六
六、〇〇〇
八〇〇
一、〇
一、〇
八〇
一五
三〇
ち
なら
六
七、〇〇〇
一、〇
九五
三〇
ぬ
やなぎ
はんのき
やちだも
二〇
一、二〇〇
二、〇~
三、〇
一〇四
三〇
すなわち、小班によつて多少の相違はあるが林令六年乃至八年、胸高直径一寸乃至二寸のからまつと広葉樹の混交幼令林で一町当り平均蓄積量は約百石を有し樹冠疎密度は三十パーセント以上に及んでいた。
(3) 第六林班について。本林班は林令概ね三十年、胸高直径三寸乃至四寸程度のなら、しらかば、しなのき等の樹木が一町当り平均二千三百本生立し、樹冠疎密度は約六十パーセントで一町当り平均蓄積量は二百九十四石に達していた。
(4) 第七林班について。本林班は林令三十年を超え胸高直径三寸乃至五寸程度のなら、しらかば、やちだも等の樹木が繁茂し本数一町当り平均二千二百本、樹冠疎密度は約八十パーセントで、一町当り平均蓄積量は三百三十石に及ぶ欝蒼たる山林であつた。
(5) 第八林班について。本林班もその林相は第七林班と同様であり一町当り平均本数二千百本、樹冠疎密度は約七十パーセントで一町当り平均蓄積量は三百十石に達していた。
以上本件土地は各林班によつて林令、生育状況、蓄積量等を異にするがその実態は樹冠疎密度三十パーセント以上で平均蓄積量は二百五十石に及ぶ欝蒼たる山林であつた。
しかして、被控訴人は昭和二十四年九月八日当時本件土地を含む右千十七町四反一畝二歩を山林として前記施業案を実施していた。その経営実績は、
(1) 右施業案によると昭和十八年から昭和二十四年まで七ヶ年間に伐採を実施するのは、第一林班(い)小班、第二林班(い)小班、第三林班(い)小班、面積二百三十九町九反歩、材積五万八千六百七十七石と定められており、実行したのは百二十四町九反歩、材積四万三千八百石であつたから、計画案に対し七十五パーセント(材積)でほぼ計画に近い進捗をみせている。
(2) 次に造林は伐採跡地に対し三分の二は天然更新、三分の一は伐採の翌々年度に人工植栽することになつており、未立木地の植栽面積と合して植栽予定面積は合計七十八町四反八畝歩(十ヶ年計百十二町一反二畝歩)であるが、実行したのは十町歩(昭和十九年六町歩、昭和二十年二町歩、昭和二十四年二町歩)に過ぎなかつた。
(3) しかし、本件山林のみの植栽についてみると、第五林班(と)小班八町三反九畝歩の計画案に対し昭和二十年六町歩(七十一パーセント)を実行し、これもほぼ計画に近い進捗をみており、その後植栽地の手入も一回乃至三回づつ実施していた。もつとも全般からみると伐採に比し造林が遅れていたが、これは当時国有民有を問わずいずれの林野にもみられた常態で、むしろ木材濫伐の時期にありながら過伐に陥ることなく、施業計画内の伐採に止めたばかりでなく、なお種々の障害を克服し僅かながらも植栽したことは取りもなおさず施業案を忠実に実行したものとみるべきである。
(二) 本件土地が仮りに牧野だとしても小作牧野ではない。本件土地には従来から、これに隣接する達古武、糖路及び阿歴内の三部落民がなんらの契約もないのにその所有馬を放牧しており、被控訴人の所有となつた後も無断で放牧を続けていたが、これらは決して賃貸借或いは使用貸借契約によつたものではない。被控訴人も樹木の成育に支障のない限りこれを拒否することによつて部落民との間に無益の紛争を惹起することを避け、かつ当時車馬補給の一役を担い得るため好意的に右放牧を黙認して来たものであるが、右部落民との間に賃貸借または使用貸借契約を結んだことはなく、また本件土地の前所有者からそれらの契約を継承したものでもない。従つてなんらの対価も取得したことはない。もつとも、現地駐在員大久保愛蔵が昭和二十一年十二月から昭和二十三年十二月までの間に達古武部落民の代表者から合計金四千円を受領したことはあるが、これは放牧馬が右大久保愛蔵の耕作地内に立ち入り農作物を荒したことの代償として受領したものであつて、それも後にこれを返還している。
三、川上郡標茶村農地委員会及び北海道農地委員会の前記各処分は昭和二十六年法律第八十九号「農業委員会法の施行に伴う関係法令の整理に関する法律」により、それぞれ川上郡標茶村農業委員会及び北海道農業委員会のなした処分とみなされ、次いで北海道農業委員会は昭和二十九年八月十六日廃止され、昭和二十九年法律第百八十五号「農業委員会等に関する法律」附則第二十七項により控訴人が本件訴訟を承継した。
四、よつて控訴人に対し前記買収計画及び訴願を棄却する旨の裁決の取消を求める。
五、控訴人の主張事実は争う。
控訴代理人の答弁の要旨。
一、被控訴人主張の山林六百七十八町九反八畝六歩が被控訴人の所有であつたこと、右土地につき川上郡標茶村農地委員会が昭和二十四年九月八日自作農創設特別措置法第四十条の二に基いて買収計画を定めたこと、被控訴人が同年同月二十九日異議の申立をなしたが同年十一月一日棄却されたので同月十八日さらに北海道農地委員会に訴願したところ、同委員会は昭和二十五年三月二十四日附で右買収計画中、山林のうち本件土地については訴願を棄却し、その他の部分については訴願を認容する旨の裁決をなし右裁決書謄本を被控訴人に送附したこと(昭和二十五年四月十七日送付された裁決書謄本に誤記があつたので昭和二十七年八月三十日訂正裁決書の謄本を送付した。)被控訴人が本件土地を含む同所二十六番地乃至二十九番地所在山林千十七町四反一畝二歩を地上の立木とともに杭木供給源として昭和十四年三月買い受け全地域について昭和十八年十月二十八日北海道庁長官から森林法に基く単独施業案の認可を受けたこと、川上郡標茶村農地委員会及び北海道農地委員会の前記各処分が昭和二十六年法律第八十九号「農業委員会法の施行に伴う関係法令の整理に関する法律」により、それぞれ川上郡標茶村農業委員会及び北海道農業委員会のなした処分とみなされ、次いで北海道農業委員会は昭和二十九年八月十六日廃止され、昭和二十九年法律第百八十五号「農業委員会等に関する法律」附則第二十七項により控訴人が本件訴訟を承継したことは認めるが、その余の主張事実は争う。
二、昭和二十四年九月八日現在における本件土地の樹冠の疎密度は三十パーセント以上で、前記施業案に定められた伐採計画はほぼ実行されているが、植栽計画はほとんど実行されておらず、植樹の管理も悪く蔓切等も十分行われず、その成績は極めて不良であり、施業案が適正に実施されているとは言い難い。すなわち第五林班については、からまつの植栽は(は)(へ)(と)各小班に若干認められるに過ぎないのであつて、植栽は成功しておらず、また、除伐蔓切等の手入も放置されており、(ろ)小班にあつては疎密度は六十八・八七パーセントであるが、このうち不要樹又は蔓茎類によるものが二十五・五八パーセントを占め、(ほ)小班にあつては疎密度は六十四・五四パーセントであるが、そのうち蔓茎類によるものが三十・五五パーセントであり、(ち)小班にあつては、疎密度は約二十パーセントであるが、そのうち不要樹が六・五六パーセントを占めている。これら不要樹蔓茎類は森林施業の実施においては当然除去すべきものであつて、その比率の高いところら見れば当該土地については手入がなされていなかつたことが明らかである。第六林班については、植栽の事実はなく疎密度約四十パーセントのうち不要樹蔓茎類によるものが約二十パーセントとなつており、手入の不良であることを示している。第四林班についても植栽の事実はなく樹木の管理は放任されている有様である。そうして、本件土地附近の部落民は農業の外に馬産を営み、本件土地及び附近の国有林以外には適当な放牧地がないため、本件土地には明治十八年以来附近の部落民によつて年中放牧が行われ、被控訴人の所有となつた後も、その現地駐在員の了解のもとに放牧が行われ、牧柵等の施設もその補修も従前からなされている。昭和二十四年九月八日当時糖路、阿歴内両部落の放牧馬は百二十頭に及んでいたが、その間一度も放牧を禁止されたことはない。また、昭和十五年から昭和二十年までは達古武部落の代表者小林憲次が被控訴人の現地駐在員富樫金四郎に毎年金百円づつ、昭和二十一年から右富樫に代つた大久保愛蔵に対し右部落の代表者西村一太が昭和二十一年金三百円、昭和二十二年金七百円、昭和二十三年には西村春吉と小林憲次が金三千円の放牧料を支払い、右金員はいずれも駐在員を通して被控訴人に渡つている。さらに、阿歴内、糖路両部落民は達古武部落から本件土地の転借を受けて放牧をしているのである。従つて、本件土地は放牧の目的にも供されており、その主たる目的が林木の育成になく、主目的不明の土地である。のみならず、本件土地は地形水利植生の飼料価値等から見れば放牧適地であつて、現に附近の農民の唯一の放牧地で、その営農上必要欠くべからざるものであるが、これを完全に利用するには、その所有権を農民に与え、森林及び放牧の目的に使用するいわゆる混牧林経営方式を採用することが望ましいのであつて、このことはまた、農民の地位を安定させ、農業生産力の発展と農村における民主的傾向の促進とに役立つのである。要するに、本件土地は放牧適地であり、長年附近の農民が貸借関係のもとに放牧して来たところであつて、林木の育成が主たる目的とはみられないから、牧野というべく、前記の如き貸借関係が存するから小作牧野である。そこで、北海道農地委員会は前記裁決をなすに当り二四農政第五四一号通牒「牧野の定義の運用に関する件」に基き、本件土地の年間百二十日の放牧頭数は九十一頭であるが、農業経営の実情ならびに附近の状況を勘案してその最頻値を四十五頭と推算し、同地帯の大家畜一頭について必要な牧野面積は六町と決定されているから、合計二百七十町歩の本件土地を牧野と認めたのである。従つて、同委員会のなした前記裁決にはなんら違法の点は存しない。
三、また、被控訴人は標茶村農地委員会のなした前記買収計画の取消を併せて請求しているが、これは標茶村農地委員会を相手方としてなすべきである。
証拠関係(省略)
理由
北海道川上郡標茶村大字糖路二十八番地の一所在山林六百七十八町九反八畝六歩が被控訴人の所有であつたこと、川上郡標茶村農地委員会が昭和二十四年九月八日右土地につき自作農創設特別措置法第四十条の二に基いて買収計画を定めたこと、被控訴人が同年同月二十九日異議の申立をなしたが同年十一月一日棄却されたので、同月十八日さらに北海道農地委員会に訴願したところ、同委員会は昭和二十五年三月二十四日附で右買収計画中山林のうち別紙目録記載の土地(本件土地と略称)については訴願を棄却し、その他の部分については訴願を認容する旨の裁決をなし、右裁決書謄本を被控訴人に送附したこと(昭和二十五年四月十七日送付された裁決書謄本に誤記があつたので昭和二十七年八月三十日訂正裁決書の謄本が送付された。)は当事者間に争いがない。
そこで本件土地が昭和二十四年九月八日当時山林であつたかどうかの点について判断するに、被控訴人が本件土地を含む同所二十六番地乃至二十九番地所在山林千十七町四反一畝二歩を地上の立木とともに杭木供給源として昭和十四年三月買い受け、全地域について昭和十八年十月二十八日北海道庁長官から森林法に基く単独施業案の認可を受けたことは争いがなく、成立に争いのない甲第一号証の一乃至六、原審証人大久保愛蔵、富樫金四郎、中門留一、西原照光、新岡好栄、西村春吉、小林憲次、高村熊平、小場唯夫、古村義雄、青柳永治(ただし、小場、古村、青柳の各証言中後記措信しない部分を除く。)、当審証人大久保愛蔵(第一、二回)、富樫金四郎、二木季人、中川久美雄、西村春吉、小林憲次、小場唯夫(ただし、後記措信しない部分を除く。)の各証言、原審及び当審(第一、二回)における各検証の結果、原審鑑定人片岡正二郎及び当審鑑定人松井善喜(第一、二回)、大原久友(第一、二回)の各鑑定の結果を総合すれば、前記山林千十七町四反一畝二歩は昭和十四年買受当時なら、しらかば等を主とする欝蒼たる天然林であつたが被控訴人は右山林を林木育成に当てる目的で昭和十四年八月に総蓄積量を調査して伐採造林植栽の事業計画をたて、同年十月からその実施に着手し、昭和十五年からは富樫金四郎を、昭和二十一年からは大久保愛蔵を各現地に常駐させて山火の予防、盗伐の防止、境界標の設置、林道の新設等の新設等その管理に当らせたこと、前記施業案によれば、伐採計画は毎年約三十町歩を伐採し三十年を週期とする輪伐とし、造林計画は天然更新を主とし、三分の一を人工植栽とすると定められていたが、被控訴人は昭和十八年から昭和二十四年までの間に、伐採は右計画の約七十五パーセントを実施し、人工植栽は右計画の約十三パーセントを実行したこと、しかも、植栽した樹木が野鼠のために枯死し、補植も困難を極め、植栽も不成功に終り、伐根から生じた萌芽によつて新しく天然林が成立したような場所もできたが、昭和十八年から昭和二十四年までは今次大戦の末期及び終戦後の時期に当り、一般に木材が不足し山林は濫伐の傾向にあり、かつ労働力が不足し苗木の補充が十分でなかつた等の情勢下にありながら、被控訴人は過伐に陥ることなく施業案の範囲内に伐採を止めたのみならず僅かながらも植栽をして、忠実に施業案の実施に当つた結果、昭和二十四年九月八日当時における本件土地の状況は、
第四林班の本件七十三町一反一畝歩のうち、(い)小班はほぼ三十二年生のなら、しらかばを主とし、形質不良の老大木の点在する天然林で、一町当り平均蓄積量は三百四十五石五斗であり、(ろ)小班(は)小班は十九年生のなら、しらかばを主とした天然林で、一町当り平均蓄積量は百五十六石であり、(に)小班は七年生の萌芽林で一部に植栽されたからまつが点在しており、いずれも旺盛な生長をなしていたこと、
第五林班のうちの本件四十六町三反二畝歩中、(ろ)(は)(ほ)(へ)(と)(ち)の各小班は植栽された六年生ないし八年生のからまつと、同年生のなら、しらかば等の萠芽樹との混じた林相で、からまつは全体の一割に達しない程度であり、(ぬ)小班ははんのきを主とし林令は右より多少高令の萠芽林で二十年内外のものも多少生立しており、第五林班の一町当り平均蓄積量は八十三石であるが、立木はいずれも旺盛な生長をなしていたこと、
第六林班のうちの本件十五町五反歩は十八年生のなら、しらかば等の萠芽樹林で、第四林班と大差ない林相を示し、一町当り平均蓄積量は二百十九石であつたこと、
第七林班六十五町七反一畝歩及び第八林班七十町三反六畝歩は三十二年生のなら、しらかばを主とする天然林で、一町当り平均蓄積量は三百四十五石五斗であつたこと、
すなわち、第四林班(に)小班及び第五林班は六年生ないし八年生の若い林で旺盛な生長状態にあり、その他の各林班は伐採可能の林令に達しており、全体として疎密度三十パーセント乃至七十パーセントの欝閉した森林の形状をなしていたことが認められる。もつとも右の各証拠によれば、本件土地周辺の糖路、阿歴内、達古武の部落民は農業のほか馬産を営んでおり、適当な放牧地がないため古くから本件土地と附近の国有林に放牧しており、多いときは一日数十頭に及びその期間は毎年六月から十月に至つていたが、もともと本件土地の放牧については前所有者新宮商行も明確な契約は締結していなかつたし、被控訴人もなんら契約を結んでおらず、少数の馬が境界を超えて本件土地に侵入して来たものと軽く考えておつたのと、樹木の成育に別に大きな被害も生じていないのに厳重に禁止して部落民と争うことは山火の防止、労働力の補給等に支障が生ずるとの懸念からあえて異議を述べず黙認していたこと、また大久保愛蔵が昭和二十一年十二月から昭和二十三年十二月までの間に達古武部落の代表者西村一太等から合計金四千円を受領したのも、放牧馬が大久保愛蔵の耕地に立ち入り農作物を荒らしたのでその弁償金として受け取つたにすぎないことが認められる。原審証人古村義雄、青柳永治、小場唯夫、当審証人小場唯夫、富樫洋の各証言中右各認定に反する部分は措信し難く、鑑定人大原久友の鑑定の結果中前記認定と牴触する部分は採用できない。その他右認定を覆えすべき証拠はない。
以上認定の事実によれば本件土地は主として林木育成の目的に供され、附随的に放牧の目的に使用されているに過ぎないものと認められるから、自作農創設特別措置法にいう牧野ではなく、山林であると認めるのが相当である。
そうとすれば、本件土地を牧野と認定してなした標茶村農地委員会の前記買収計画及び被控訴人の訴願を棄却する旨の北海道農地委員会の前記裁決は、いずれも違法であつて、取消を免れない。
控訴人は右買収計画の取消は標茶村農地委員会を相手方としてこれを求むべきであると主張するので、この点について判断する。およそ行政処分の取消を求める訴訟においては、処分をなした行政庁を相手方となすべきであるが訴願庁が原処分の内容を判断して訴願を棄却する旨の裁決をしたときは、訴願庁を相手方として右裁決の取消を求めるとともに、原処分の取消をも併せ求めることができるものと解すべきである。それなら訴願庁である北海道農地委員会を相手方として標茶村農地委員会の定めた買収計画の取消を求めることは当然許されるものであつて、この点に関する控訴人の主張は採用できない。
そうして、川上郡標茶村農地委員会及び北海道農地委員会の前記各処分は、昭和二十六年法律第八十九号「農業委員会法の施行に伴う関係法令の整理に関する法律」により、それぞれ川上郡標茶村農業委員会及び北海道農業委員会のなした処分とみなされ、次いで北海道農業委員会は昭和二十九年八月十六日廃止され、昭和二十九年法律第百八十五号「農業委員会等に関する法律」附則第二十七項により、控訴人が本件訴訟を承継したことは当事者間に争いがない。
そうとすれば控訴人に対し前記買収計画及び訴願を棄却する旨の裁決の取消を求める被控訴人の本訴請求は正当としてこれを認容すべきである。
被控訴人は当審において請求の趣旨を変更したので、原判決を主文のとおり変更することとし、民事訴訟法第九十六条、第八十九条に従い主文のとおり判決する。
(裁判官 臼居直道 渡辺一雄 安久津武人)
(別紙目録省略)
原審判決の主文、事実および理由
主文
被告が昭和二十五年三月二十四日附で別紙目録記載の土地についてなした原告の訴願を棄却した裁決はこれを取消す。訴外上川郡標茶村農地委員会が前項の土地について昭和二十四年九月八日たてた買収計画はこれを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求め、その請求の原因として、
別紙目録記載の上川郡標茶村大字塘路字塘路二十八番地の一所在山林総面積六百七十八町九反八畝六歩は原告会社の所有であるが、訴外上川郡標茶村農地委員会は昭和二十四年九月八日右土地につき自作農創設特別措置法第四十条の二にもとづいて買収計画をたてたので、原告会社は、同年同月二十九日異議の申立をなしたが、同年十一月一日棄却され、同月十八日更に被告に訴願したところ、被告は同二十五年三月二十四日附で右買収計画中別紙目録記載の山林二百七十町歩についてはこれを棄却し、他の部分については訴願を認容する旨の裁決をなし、原告は同年四月十七日右裁判書謄本の送付を受けた。然しながら右山林二百七十町歩の本件土地に対する買収計画は次の理由によつて違法である。
(一) 本件土地は山林であつて牧野ではない。すなわち原告会社は阿寒郡阿寒村に雄別礦業所を設置し石炭採掘及び鉄道輸送を目的とする会社であつて、昭和十四年三月本件土地を含む総地積千十七町四反一畝二歩の山林を採炭用坑木の給源林として買入れ、その後専任山林技術職員を常駐させて林木の育成に専念して来た土地であつて、その現況は三十年生以上のなら、しらかば、はんのきその他の濶葉樹が繁茂し、樹冠の疎密度は〇・六乃至〇・八で蓄積は一町当り二百六十石乃至二百八十石である。更に本件土地を含む原告会社所有の山林全地域について昭和十八年十月二十八日当時の北海道庁長官から未林第二一四号指令により森林法第九条に基く単独施業案の認可を受け、森林生産の保続をはかるため監督官庁の保護を受けると共に事業施行の責任を負担するに至つたものであつて、爾来原告会社においては鋭意施業計画の実施に努力して今日に及んでいるのである。右の実情であるから本件土地の主たる目的は原告会社の坑木資源の確保のための林木育成に在るのであつて、牧野ではなく林地であることが極めて明瞭である。
(二) 本件土地は小作牧野ではない。すなわち本件土地には従来からこれに隣接する達古武、塘路及び阿歴内の三部落民がその所有馬を放牧して来ており、原告会社の所有となつた後も無断で放牧を続け、原告会社も樹木の成育に支障のない限りこれを拒否することによつて部落民との間に無益の紛争を惹起することを避け、且つ又当時車馬補給の一役を担い得るため厚意的に右放牧を黙認して来たものであるが、右部落民との間に賃貸借又は使用貸借契約を結んだことはなく、何等対価を取得したこともない土地であり、従つて本件土地について小作関係ありと認定することはできない。又昭和二十四年一月二十一日附二四農政第九七号、同年二月二十三日附二四農政第五四一号「牧野定義の運用について」の農林省農政、畜産及び林野各局長の通牒によれば、「家畜の放牧又は採草の目的に供されておつてもその現在の主たる目的が他にあるときは牧野ではない」として牧野と山林との区別の基準を示すと共に、所謂牧野買収の行き過ぎの是正を指示しているのであるが、本件山林の現況及びその主たる目的は前記のとおりであつて、これを右通牒の趣旨に照らしてみるときは、本件土地は山林であつて牧野ではなく、従つて亦小作牧野でもないのである。
以上の理由によつて本件買収計画は違法であるばかりでなく、被告のなした前記訴願裁決書の理由によれば、前記通牒の趣旨に照らして考えると原告が訴願をなした前記土地の主目的は林地とも牧野とも断じ難く結局主目的不明の土地と断定する旨の記載があり、而してその一部である本件土地については附近部落民が前記のように無断で家畜を放牧した事実があるので小作関係があるものと認めてこの部分については原告会社の訴願を棄却し、他の部分についてはこれを認容したのであるが、被告が本件土地利用の主たる目的は不明であると認定しながら敢てこれを牧野として買収しようとするのは何等根拠のない違法の処分である。従つて本件土地に対する買収計画及びこれについてなした原告会社の訴願を棄却した被告の裁決は共に違法であるからそれらの取消を求めるため本訴に及んだのである。なお本件土地中別紙目録記載の第四林班及び第六林班の中百三十四町四反九畝歩は訴願棄却の裁決中で後日実測のうえその範囲を定めることとされているものであつて、未だその位置は確定されていないと述べ、
被告の答弁に対し
前記施業案中植樹案の実施が伐採案のそれに比べて成績が劣つていることは認めるが、それは右施業案の認可が戦時中の昭和十八年十月二十八日であつて、その後同二十二年頃までの間は労力不足と苗木不足のため植栽困難を来したためであつて、戦時中の平和産業の不振は林業についても同様であつて、独り原告会社の植林原業に限らず民有林についても国有林についても当時のわが国林業の一般的現象であつたのである。従つて戦時中の右のような特殊事情による植林事業の不振を顧慮せずに単に植樹案の成績不良の結果のみを把えて本件土地は林木の育成を目的とするものではなくその目的不明の土地であると認定することは不当である。又前記の附近部落民の放牧に対して原告会社の現地駐在員が了解を与え、毎年謝礼金を受け取つていたことはないと述べた。(立証省略)
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として
別紙目録記載の原告主張の土地が原告会社の所有であつて、訴外上川郡標茶村農地委員会が原告主張の日時これについて自作農創設特別措置法第四十条の二にもとづいて買収計画をたてたところ、原告会社はこれに対し異議申立をなしたが棄却され、更に原告主張の日時被告に訴願したところ、被告は右買収計画中の一部を認容し、別紙目録記載の山林二百七十町歩について訴願を棄却する旨の裁決をなし、原告主張の日時原告会社にその裁決書謄本の送付があつたこと、原告会社が阿寒郡阿寒村に雄別礦業所を有して石炭採掘及び鉄道輸送を事業目的とする会社であつて、原告主張の頃本件土地を含む総地積千十七町四反一畝二歩の山林を採炭用坑木の給源林として買入れ、これについて原告主張のような単独施業案の認可がなされていること、原告会社が本件土地を取得する以前から附近の部落民が家畜の放牧をして来たこと及び被告が本件土地は主目的不明の土地であつて、右の部落民の家畜放牧の事実から本件土地については小作関係があるものと認めて原告の訴願を棄却したことはいずれも認めるが、その余の原告主張事実は否認する。
本件土地の現況は樹冠の疎密度〇・三以上ではあるが、前記施業案についてみるとその伐採案はほぼ計画とおりに行われているが植樹祭は殆んど実行されておらず、植樹の管理も悪くその成績は極めて不良であつて蔓切り等も本件買収計画がたてられた後になされたものが大部分であり、之を要するに施業案が適正に実施されているとは云い難い。而して本件土地には明治十八年以来附近の農民によつて年中放牧が行われ、昭和十四年原告会社の所有となつて以後も原告会社の現地駐在職員の了解の下に放牧が行われており、従前から牧柵等の施設もあつてその補修も行われ、現在塘路、阿歴内両部落の放牧馬は百二十頭に及ぶのであるがその間一度も放牧を拒否されたことがなく、又原告会社の現地駐在員に対して毎年前余で謝礼金が支払われているのである。従つてこうした土地は明かに昭和二十三年七月十五日附二三農局第二六四〇号畜産農政両局長通牒記三号に該当する小作牧野であり、原告主張の二四農政第五四一号「牧野の定義の運用に関する件」に照らして考えると、本件土地の主目的は林木の育成にありと認めることはできず、主目的不明の土地と認むべきものである。そこで被告は原告会社の本件訴願に対する裁決をなすに当り、右二四農政第五四一号「牧野の定義の運用に関する件」に基き、本件土地の年間百二十日の放牧頭数は九十一頭であるが、農業経営の実情並に附近の状況を勘案してその最頻値を四十五頭と推算し、同地帯の大家畜一頭につき必要とする牧野決定面積は六町であるから、合計二百七十町歩の本件土地を牧野と認めて原告会社の訴願を棄却したのである。
右の理由によつて本件土地に対する買収計画及び被告のなした訴願棄却の裁決にはいずれも原告主張のような違法の点はなく、従つて適法なものである、と述べた。(立証省略)
理由
別紙目録記載の川上郡標茶村大字塘路字塘路二十八番地の一所在山林総面積六百七十八町九反八畝六歩が原告会社の所有であつて、訴外川上郡標茶村農地委員会が昭和二十四年九月八日右土地につき自作農創設特別措置法第四十条の二にもとづいて買収計画をたてたところ、原告会社が同月二十九日異議の申立をなしたが、同年十一月一日棄却され、更に同月十八日被告に訴願した結果、被告は同二十五年三月二十四日附で右土地の中別紙目録記載の山林二百七十町歩については訴願を棄却し、他の部分については訴願を認容する旨の裁決をなし、同年四月十七日右裁決謄本の送付があつたこと、原告会社は阿寒郡阿寒村に雄別礦業所を有して石炭採掘及び鉄道輸送を事業目的とする会社であつて、昭和十四年三月頃本件土地を含む総地積千十七町四反一畝二歩の山林を採炭用坑木の給源林として買入れ、これについて同十八年十月二十八日当時の北海道庁長官から単独施業案の認可がなされたこと及び被告が本件土地二百七十町歩については主目的不明の土地であつて附近の部落民が家畜を放牧している事実からこれについて小作関係があるものとして小作牧野と認め、原告の訴願を棄却したことはいずれも当事者間に争がなく、又本件土地には以前から附近の部落民が家畜の放牧をなして来たことも当事者間に争のないところであるが、証人大久保愛蔵の証言によつて成立が認められる甲第三、第四号証、証人中門留吉、同大久保愛蔵、同富樫金四郎、同小林憲次、同西村春吉、同古林義雄、同高村熊平、同青柳永治の各証言を綜合すれば、本件土地にはその前主訴外新宮商行の所有時代からこれに隣接する達古武、阿歴内、塘路の三部落民が馬を放牧し原告会社の所有となつてからも放牧を継続していたが、その放牧については原告会社の承諾を得ることなく無断でなしていたものであり、原告会社の現地駐在員である訴外富樫金四郎、同大久保愛蔵もその放牧の事実は承知していたが部落民との無益な争を避けるため敢てこれを拒否しなかつたこと及び右大久保が昭和二十一年十二月から同二十三年十二月までの間に達古武部落民の代表者から合計金四千円を受領したことはあるけれども、それは放牧馬が右大久保の耕作地内立入り農作物を荒らしたことの代償として受領したものであつて、後に返還した事実が認められ、証人小場唯夫の証言中本件土地について賃貸借関係ありとする部分は措信し難いところであつて、他に右認定を覆えすに足りる証拠はないばかりでなく、成立に争のない甲第一号証の三、四に証人西原照光、同新岡好栄、同中門留吉、同大久保愛蔵の各証言及び検証並びに鑑定の各結果を綜合するときは、本件土地には概ね目通り一寸乃至三寸程度のなら、しらかば、はんのき等の樹木が繁茂しており、樹冠の疎密度は〇・三乃至〇・七であつて、前記施業案の実施については伐採計画は予定のとおり進捗しており、造林計画については戦時中の労力不足、苗木の入手困難等の原因で予定どおりに行われてはいないが、これは戦時中から戦後にかけて全国に共通の現象であつて原告会社の怠慢に帰すべきものではなく、本件土地は坑木生産のための林木育成を目的として原告会社が経営している山林と認むべき事実が認定され、これを以て主目的不明の土地乃至は牧野と認めることはできない。
従つて本件土地について小作関係があり且つ主目的不明の土地となし結局小作牧野と認めてたてられた本件買収計画及び原告の訴願を棄却した被告の裁決はいずれもその認定を誤つた違法のものであるから、その取消を求める原告の本訴請求は理由ありと認めてこれを容れ、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。(昭和二十六年三月三十一日札幌地方裁判所判決)